いくらかの古い物語を
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ラズベリーノスタルジア
あの長い坂道を登ったところに、小さな駄菓子屋があった。
古びた入り口をガラガラと開けると、腰を曲げたおばあちゃんが奥から出てくる。
友達とよく、コーラの飴玉を買った。
10円で、喉に詰まりそうなくらい大っきいんだ。
駄菓子屋の裏手に、立ち入り禁止の緑の丘があった。
フェンスで覆い尽くされ、上は棘棘しい薔薇線で入念に囲ってある。
体の小さな僕らは、フェンスの隅をすり抜けて侵入した。
そこに広がっていたのは―――。
緑一面に、見たこともないくらいの木苺が成り茂る丘。
どれだけ採って食べても無くならないほどの赤い実。
僕らは夢中で木苺を摘んでは口に運んだ。
そして僕らは目を見合わせ、静かにこう耳打ちしたんだ。
「いいかい、誰にも内緒だよ」
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出逢えない海岸線
あの防波堤に仰向けに寝転んでは、
絵に描いたように翼を広げたカモメを見上げていた。
指で四角を作ってシャッターを切る。そんな18の夏だ。
あれは5月のとても暑い日で、不幸なことに空には雲ひとつなかった。
無造作に散らかったテトラポットと、気だるそうに海沿いを歩く野良猫、
防波堤には救いようのないセンスの落書きが施され、
日陰には仕事をサボる営業マンの車が停まっている。
時間という概念は、野良猫があくびをかみ殺す仕草で消滅していた。
そんな初夏の弱火の中で僕の肌は、
丁寧に焼かれたハンバーグの表面のようにこんがりと色づいた。
やってこない彼女を待ち続けて何時間が過ぎただろうか。
来るまで待ってる、だなんて。若かったのだ。
渡せなかったプレゼントは放り投げられ、海の底に沈む。
そう。あの場所で僕は、誰とも出会わなかった。
8時間待っても、彼女は現れなかった。
だから10年が過ぎた今も、あの海岸線に行くと、僕の時計は止まる。
誰とも出会うことのない、そんな特別な場所になった。
もう顔も忘れてしまったあの子は、今も元気にしているだろうか。
もしまたあの海岸線で会えたなら、
あの日の彼女の白いスカートに、鼻血をこぼしてしまったことを詫びたい。
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精肉工場
彼は当時15で、朝鮮人の営む小さな町の精肉工場へ勤めた。
当時、暴走族上がりだった彼には、当然高校へ行けるような学もなかった。
雨の日も雪の日も、何十キロも離れた工場へ自転車をこいで通った。
朝鮮人の社長は彼に高校に行かせるために辞めさせる意向で、
あえて過酷な状況を与えたのだ。
昼は豚の屠殺場に連れていき、目の前で弁当を食わせた。
殺される豚の悲鳴と、血なまぐさい臭気の中で毎日飯を食った。
それがその社長の流儀だったのだ。
それでも彼は耐えた。
ある時、彼は肉を挽く機械の中に誤って人差し指を突っ込んだ。
轟音の機械を通り抜けるひき肉の中へと、彼の人差し指は消えていった。
障害者手帳を配布され、周囲からはヤクザと蔑まれた。
それでも彼は耐えた。
あくる日も仕事に明け暮れて耐え忍んだ。
それから15年の歳月が過ぎた。
小さな精肉工場は見違えるほど成長し、彼はその精肉工場の工場長になった。
社長からも一目置かれ、ふたりはパートナーとして切り盛りするようになった。
そして会社が軌道に乗ったある時。事件は起きた。
社長が会社を大きくするため、腕利きの社員を引き抜きしたのだ。
金にものを言わせて、エリート育ちの人間をヘッドハンティングした。
そして―――彼は見てしまったのだ。
引き抜きをしたその社員の、巨額の給料明細を。
15年も会社に従事し、全てを捧げてきた自分と、
その社員の歴然とした金額の差を。
過酷な労働条件の中で働きながらも、
彼は待遇や給料のことで何一つ文句を言ったことがなかった。
ただの一度も。
そんな彼が始めて、社長に金の話をした。
社長は、金のことを言った彼に激怒した。
きっと、彼は悔しかった。金じゃなかった。
誰よりも会社のために、そして社長のために尽くしてきた自分を
見てもらえなかったことがきっと悔しくて、そして悲しかったんだ。
工場長までに成長した彼は、15年命をかけた仕事に終止符を打った。
そして自分で建てた新築の家を売り、長距離トラックの運転手になった。
―――それから幾星霜。
彼は今、新たな家庭を築き上げ、そして新たな幸せを手に入れた。
僕の母と、再婚したのだ。
血のつながりはなかれど、彼は僕の父親代わりに当たる。
今僕が話したのは全て、母から聞いた話。
彼は不器用で、自分の過去を嬉々として語るような人ではないから。
そして今は、自営の八百屋を切り盛りしている。
今日も母と野菜に囲まれて休みなく働き、幸せそうに暮らしている。
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僕の中にある、古い物語をいくつかまとめてみました。
こういうのも悪くないですね。
ノスタルジックな気持ちにしばし時を忘れた。
きっと人の心の中は古い図書館のようで、懐かしい時代の古書がいくつも格納してある。
それは物語だったり、図鑑だったり、絵本だったり―――。
そのいくつかのページを開いたような、正にそんな気分です。
時の洗礼を受けたストーリーには何かしらの魔力があります。
だから人は歴史に魅了されるし、祖父母の言葉には重みがある。
時間とともに、時には後ろを振り返り、過去を懐かしむ。
それは後悔ではなく、追憶の念です。
また気が向いたら書こうかなと思います。